
「呉服・太物 但馬屋」♪ - プラタナス (?)
2011/10/28 (Fri) 14:40:31
前進座の観劇ではいつも、勿論すべてが「お目あて」なのですが
26日は
「明治おばけ暦」の浅草公会堂・千穐楽を、主に“劇中劇”目あてに拝見して参りました
前進座劇場で2日目を観て、劇中劇にみとれました~
みとれた理由は、さすが前進座、そこには歌舞伎芝居の妙味もちゃんとあり、“劇中”ゆえ、より凝縮されたまとまりもあり、皆の予期せぬ出来事から次第に、ドタバタになって行くところも可笑しくて、とても楽しかったです。
ぜひいつか、この「ざんぎりお富」全編の続きも、観てみたいです、よろしく

そして、芳三郎さん、國太郎さんのお芝居をはじめ、山本むつみさん作「明治おばけ暦」の全てが、お富さんの台詞を借りれば、「一段と良い御趣向で」誠に楽しゅうございました
明治おばけ暦 - ちゅら (女性)
2011/10/16 (Sun) 23:49:19
本日「明治おばけ暦」を観ました。
ブログにもありましたが、今までの前進座のイメージとちょと違って、コミカルな部分が多かったけれど、
お話の肝心な部分はしっかりと描かれていて、
「為になって、面白い」舞台でした。
劇中劇や、明治のいろいろな衣装で、一人が何役かに変わっていくのも面白かったです。
10月26日まで!頑張ってください
明治おばけ暦観ました - 観劇者(宮城) (男性)
2011/10/16 (Sun) 22:31:49
10月15日(土)に「明治おばけ暦」を観ました。どこも料金を考え、いいものを作ろうと苦心していますね。
日本の近代化なんて大上段に構えても、庶民にとってはとんでもない「改革」とは!これをすぱっとわかりやすくしたのが今回の劇。一見あれ~。あっこれは、初めて花道の下で見て、役者の皆さんの熱演を間近で見たものですから。よかったっす!
2011/08/09 (Tue) 20:29:23
前進座、さんしょう太夫チームスタッフの皆様
多治見で芝居を観る会の田中です。或る小倉日記伝から2年ぶりですか?最近私、少し聞こえが悪くなって、速い台詞を聞き落とすことがたまにあったのですが、さすがです。全員がとどく声でした。前園さん武井さんいい声ですねぇ。
今回私の中で小萩はとても輝いてみえました。新体操のリボンを思わせる舞は見事でつい頬がゆるんでしまう。苦しさの中でいのちが解放されるときそれはきっとまぶしいのでしょうね。
さんしょう太夫多治見公演 観劇感想
オープニングの視覚効果にまず度肝を抜かれました。登場人物によってスクリーンが蠢き、映し出された経文が生き物のように踊り出す・・・。
様々な音色を響き渡らせる楽器たちと地の底から聞こえるような独特な節を持つ語りが作り出す律動は、見るものの心にわき出させるそのおどろおどろした何かが、これから始まる物語への見事な予兆としての効果を果たしているのでしょう。
登場シーンでまず自分たちの事情を自身に語らせますね。私はつい太郎冠者を思い出してしまいました。演劇にもこういう台詞回しがあるのだなと、少し驚かされつつ、ものがたりは始まったのです。
易々と人買いの手に落ちて行くシーンは、彼女らの無防備さを象徴し、旅立ちに何か急がれる事情があったことを暗示していますね。北国に住むものが秋を目前に旅立つことなど自殺行為と思われるからです。
海路のシーンは舞台でどうなるのだろうと思っていたら、波に揺れる船の動きや姥竹の身投げまで、まるでパントマイムのように見事に「見立ての世界」の中に作られて行きました。
奴婢となった安寿と厨子王の労役は汐汲みと薪刈りです。もはや想像するしかない「日常から失われた労働」だから、子どもには絵本の世界としてしかもうわからないのでしょうね。私は汐汲みをする安寿の演技に息をのんだのでした。想像してみてください。
冬近い日本海の荒磯で、おそらく履き物を履いてしか地に立ったことのない14歳の少女が、風に煽られながら鋭い岩肌に裸足で桶に海水を満たして運ぶことの過酷さを。
映画「裸の島」で水桶を担いで歩くシーンを乙羽信子が演じていました。私はそれを観た時あまりの過酷さに驚いたのでした。汐汲みは時に波にさらわれ、命を失うかもしれない危険な仕事だったのでしょう。
桶を波にさらわれた安寿が為す術無く、耐えきれず、死のうとする彼女を小萩が引き留めるシーンにわたしはとても感動しました。小萩の生き抜こうとする意志の強靱さに圧倒されます。脅かされるものがつい求めたくなる、かりそめの安寧や保身に汲々とする心とは別次元のものなのでしょう。
壮絶な過酷さの中に人が置かれたとき、生き残る技術だけではきっと続かないのではないでしょうか。利他的で互恵的な心を持たない限り、苦境に耐え自らの限界を乗り越える力を、人は獲得できないのではないかとおもうのです。諦めることはあまりにたやすいのだから。そうした”強さ”を持たないものは、脱落するか、犬丸のように抑圧する側にすり寄るしかないのでしょう。安寿はこの後、劇的に変貌して行きます。
逃亡を企てれば、命がないことは焼き印を押され、食事も与えられなかった彼らのやり口を観れば明白でした。生かされているだけでは生きていることにならない。きっと安寿はあの三ノ木戸でそう思ったと私は信じたいのです。
この物語にはいくつかの派生した物語があるようです。安寿は身投げするとしたのは鴎外ですが、ほかにも飢え死にする結末もあるようです。
(安寿姫も小屋を抜け出し京に上る途中、中山から下東に出る坂道で疲労と空腹に堪えきれず死亡した。この坂を「かつえ坂」と呼ぶようになった。)
ここでは安寿が責め殺されます。私はこのシーンこそ演劇的クライマックスと言えるのではないかと思うのです。自白させるという当初の目的を忘れているかのように、自らの嗜虐性にのみ込まれてしまっている三郎の異様さに対して、安寿は苦痛にあえぎながら、どこか三郎に身体を預けてしまっているようにみえますね。「落ちよ!」と責め立てる三郎に安寿は「お前の責めはそれしきのことか?」と嘲笑うようにさえ私は感じたのでした。安寿は時間稼ぎのために命を差し出しているからでしょうか。
むごさの中で安寿が放つ何かは、単なる苦痛だけではないものがあると感じました。命のやり取りに臨むとき、意識を越えた何かが発動されるのかもしれません。小林さんにこっそり聞いてみたい。このシーンはどんな気持ちなのかと。
逃亡を躊躇する厨子王は、安寿の思いをはかりかねたというよりはまだ幼かったと私には思えました。そんな彼が導かれるように出世を果たしてゆく。彼が国司となって丹後に帰還するシーンはまさにハイライトなのでしょう。
断罪された、さんしょう太夫の首の鋸引きを悪辣な三郎にさせ、その三郎の首を民衆に処刑させる設定は、まさに安寿の残虐な殺され方があって果たされるカタルシスがあるのでしょう。そして厨子王はその刑の法的な執行者として臨んでいるのです。
この処刑は死ぬものにも生き残るものにもこの上なく残酷です。太夫は自分の考え方に最も近い三郎を溺愛していたと思います。三郎の傍若無人な様はそれがなければ不自然ですね。溺愛した息子は処刑される。その前に息子は自分を殺さねばならぬ。そして生き残る次郎には「親殺しを黙ってみていたのだ。命ほしさに」という非難が突き刺さるでしょう。
玉木の唄によって再会を果たすシーンは感動的です。ここが泣かせどころなのでしょうね。視力を失った母玉木が鳴子の綱を引く。鳴子は舞台の袖ちかくで鳴らされます。軽く、澄み切った音がする。このタイミングの合わせ方が凄い!何回も繰り返されるのに飽きてこない何とも不思議なのです。玉木の謡う唄のせいだろうか。逃走できぬよう、足の腱を切られ、光を失った彼女を「生きながらえさせたもの」のすべてがこの唄に込められていたからでしょうか・・・。
この母と子の邂逅によってエンディングにふさわしい救済・安堵感で私たちの心は満たされます。
そしてオープニングと同じ説教師集団の登場によってエンディングを迎えます。踊る経文は何かを呻き出すように・・・。
追記
実は私は演劇を見終わった後、何かを見落としている気がしてならなかったのです。ふと思ったのです。地蔵信仰*は縁日に民衆を寄せ、そこに説教師が立つ。あるいは流浪の中で集落の広場に立ってだろうか。
*この携帯できる身代り地蔵の物語こそ民衆の心を捉えたかもしれません。隠し持つことのできるサイズの仏像はあまりなかったのでしょう。
そこで語られる話は、常民が喜ばねば、その話は語り継がれないのです。賤民である説教師は喜捨にありつかねば自滅してしまう。常民から喝采を受け、生き残る物語はそれゆえ、憧れと憐憫と共感の要素を併せ持った、貴種流離譚(高貴な生まれの、弱く、力ない人間が、遠い地をさすらう苦悩を経験する)という形態になったのではないでしょうか。
でもそこには2種類のまなざしがあると思うのです。常民のまなざしに隠されたもう一つの視線・・・。
意地悪く観れば、この物語のヒーロー厨子王丸は身分のある人の子どもというだけで、彼の内心の成長・ターニングポイントについては触れられていません。(脱出の経緯の中で前提して了解されるべきかもしれませんが。)
国司として領地を受領するために彼がしたことは正氏の子と名乗る為の証拠を持っていただけです。
そもそもの発端をつくった帝の勘気と厨子王の国司取り立てもなにやら矛盾したものを感じるわけです。厨子王と帝を引き合わせた関白師実も権力中枢にありながら、娘の病気快癒に奔走している理由は彼の権力がその娘の帝から受ける寵愛に依存していることを物語ります。
物語が描く主文脈が絵柄とするならば地柄として上位の権力者の間抜けな様が無意識の層に沈むように了解されてきます。ここにもう一つのカタルシスがあると考えられないか?
私をこの奇妙な疑惑を抱かせたものは何かといえば、小萩を姉として迎える厨子王という設定です。この時私の中で彼は解放者としての存在から滑り落ちてしまいました。姉の代わりを小萩に求めたとき、厨子王は姉の死を越えて行く決意までは持てなかったのかと感じてしまうのでした。
これは多分私が現代からこの物語を見ているからそう思うのでしょう。きっとこの物語は時代のありように応じていくつかの解釈や派生する物語をたくさん生み出してきたことと思います。ここまで私はちょっとタイムスリップした気分でした。
蛇足ですが、アフリカではさらわれた子ども達が労働に従事しているとか。子ども達の仕事はそう、私たちの好物、チョコレートの原料カカオ豆を採取する農園だそうです。
さんしょう大夫の世界はまだ終わっていないのですよ。共時的に私たちの世界と共にある、怖い話です。
前進座の皆さんこの奥深い物語を送り届けてくれて、有り難うございました。
かなり悩みつつ書きました。外したかどうか、今からパンフレットを読もうと思います。
でも・・あの方には、かないませんね。そう!交流会で話に出た、あの前列で手を合わせて皆さんを拝んでいた方です。感無量。
素朴な疑問です - 都築 けいこ (女性)
2011/06/28 (Tue) 10:10:11
80周年記念公演を国立劇場で拝見させて戴きました
70年以上も上演されてなかったと言う【秋葉権現…】
歌舞伎の基本が観れたようで楽しかったです
【唐茄子屋】も吉次郎さんといずみさんの夫婦掛け合いが
小気味よく
ついつい『そうそう』とか頷いてしまいましたね
近いうちに次の作品も…と思いHPを見ていたところ
【さんしょう太夫】での配役に疑問が…
二郎役のお名前が“嵐広也”になっていますが
芳三郎さんに襲名なさった広也さんの事ですか?
それともすでに広也のお名前を襲名なさった方が
いらっしゃるのでしょうか??
7月巡演と書いてあったので
予期なしのキャスト変更の可能性もあるでしょうが
本キャストに近いはずですよね!?
お名前が大きいので
(ただの観劇好きな私ですら知ってるので)
ちょっと気になり
でしゃばりおばさんになってしまいました
Re: 大変申し訳ありません! - 管理者 (?)
2011/06/28 (Tue) 11:25:27
「配役」が、以前の、広也時代の公演のままになっておりました。
大至急訂正して、今回の配役を記載するよう手配いたしました。
大変申し訳ありませんでした。
五月国立劇場公演をご覧いただいたとのこと、
本当にありがとうございます。
お楽しみいただけ、うれしいです。
今後とも、よろしくお願い致します。
2011/05/24 (Tue) 11:54:59
一昨日の夜公演を観ました。「唐茄子屋」楽しめましたが、徳三郎(芳三郎)の花道の出が、特に気になりました。つっころばしの色気を出しても良いのではとも思いました。
「秋葉権現廻船噺」はじめて観ましたが、のどかで古風な芝居で楽しめました。でも、鬘が気になりました。大詰めの捕手たちまわり、間が良くないのと、トンボが心配で・・・もっと切れが良くないと楽しめません。それから、これは質問ですが、大詰めの信濃之助の癇筋のような赤のクマは何と云うクマで色もあの色が昔から使われていたのですか?機会があればお教えください。
翫右衛門ソノシート - 高橋勉 (男性)
2010/07/11 (Sun) 21:18:27
古本オークションにて、中村翫右衛門著「芸和おもちゃ箱」(朝日新聞社 昭和45年5月刊行)を入手しました。著述内容のさることながら、なんと「富樫、燕雄、俊寛」の実演ソノシート(セルロイド版レコード)が付録でついてました。素人の私でも「燕雄の講談」に感動し、家内は「富樫」に感動しました。家内曰く、「今こんな富樫をできる役者はいない!」とこのソノシートを家宝とすると申してます。
2011/01/05 (Wed) 13:09:30
吉祥寺前進座新春公演の初日を拝見。「くず〜い屑屋でござい」は、辺りをはばからず大声をあげて笑いました。素晴らしい熱演で、心温まりました。心から感謝しています。有り難うございました。
新春早々、こんなことを申し上げるのは、申し訳ありませんが、「乗合船」で気になったことを申し上げますと、踊りの勉強をもう少しして頂きたいと思いました。ハッキリ云って、おさらい会のようでした。特に、女優さん達の台詞回しが、舞踊家の台詞回しのようで気になります。声は大きく発声や滑舌は気になりませんが、味が違うというか違和感を覚えました。一工夫されることを望みます。でも、一生懸命なことは良く伝わって感動しました。
無題 - レナ (?)
2010/09/09 (Thu) 21:05:02
すみません、荻野靖世さんはまだ所属しておられますか?
Re: レナ様へ - 荻野 靖世 (女性)
2010/11/17 (Wed) 11:43:57
返信が遅くなってしまい申し訳ございません。
私は今、東京で元気に頑張っています。
これからもよろしくお願いします。
メールありがとうございました。
2010/10/24 (Sun) 09:24:57
「夢千代日記」を観劇。そして感激。
お座敷の貝殻節から、十条・篠原劇場的な「大利根月夜」まで、流石、芸域の広さ。
しかも原爆被爆者、残留孤児、それをアヤめたとして心に傷を負う老母等々。すべてが戦争の影を引きずった戦後の日本でした。
観劇の間、私は涙ばかりこぼしていました。(年はとりたくない。すっかり涙もろくなってしまった)
前進座のみなさま。素晴らしいお芝居をありがとう。
特に素晴らしい台本。そして、23日には、客席で観劇をし幕間にロビーにいた志村さんにありがとう。
そして、いまむらいづみさん 本当にありがとう。